サッカーのワールドカップが始まった。


いまから8年前。
日本でワールドカップがあったころ。
東京で、本の編集者をしていた。

所属していた会社で、
ある日、新卒の就職希望者にむけて、
「編集の仕事とは」について話をせよ、といわれ、
数百人の学生の前で、話をしたことがある。

本の編集は単純な仕事ではない。
企画して、書いて、撮ればできるワケじゃあない。
デザイン、レイアウト、誌面組みなどを考え、依頼したりする。

なおかつ。
誌面だけ作ればいいってモンじゃあない。
予算だて、社内調整、印刷所とのやりとり、
編集といっても、その業務は多岐にわたる。


それを、大学生のみなさんに、かみ砕いて伝えるのは、
ラクじゃあない。

仕事の内容をさんざん話したあげく……

「編集者の仕事をサッカーでたとえるなら」と切り出し、
「中盤のまんなか、セントラル・ミッドフィルダーってトコかな」
と言った。

戦況を読み、攻撃を組み立て、パスをつなぐ。
危ない局面になれば、そこへ全力で走る。
ときには自分でボールを運んで、シュート!!

そんなセントラル・ミッドフィルダーのように、
編集者も、考えて、動きまわらねばならないのだ。

「たとえるなら日本代表のヒデこと、中田英寿選手。わかりますか?」

深くうなづいて納得した者もいれば、要領を得ない者もいた。
うーん…と、考え込んでいる風な者もいた。

大変なのだよ、編集者は。
華やかなだけじゃあないんだよ。
責任重大なのだよ。つねに結果が求められるんだよ。
そう言いたかったのだ。

心のなかでは言っていた。
でも、口には出さなかった。
就職説明会で、そんなこと言ったら、
会社から、厳重なる注意を受けただろう。


つい最近のこと。
かの中田英寿さんが、テレビで、
日本代表選手だった自身について、その苦悩を述懐していた。

日本でワールドカップがあったのが2002年。
中田英寿が引退したワールドカップが2006年。
現在、2010年。

世界のナカタは、孤独だったそうだ。
これからの人生、幸せにやってほしいものだ。

それにしても、編集の仕事って大変だったな。
木工の仕事も、大変なところ、あるけど。
それを言っちゃあオシマイなんで……きょうは、おしまい。


■ 2010/06/17 ■



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Illustration:Motoko Umeda
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