つい先日。
夏の宵。松本の街で。
自転車ツーリングの若者を見かけた。

たぶん大学生。夏休みなんだろう。

わたしも、むかしは…
夏休みともなれば、
こうして自転車で長期のツーリングに出ていた。

太いタイヤの自転車。
両サイドには大きなバッグ。
荷台の上には、テントと寝袋。


過ぎ去りし、自転車旅の日々を回想してみる。

美しい風景、出会った人、峠の上りの苦しさ…などなど。
こういったシーンが印象に残っている。
まあ、当時も、
そんな場面が記憶に残るだろうな、とは思っていた。


しかし、そんな記憶の数々とは別に、
予想外にも、頭のなかに残っている映像がある。

その日の目的地である街に、
夕方、到着したときのシーンだ。

その日を走り終えた安堵、充足感。
それと同時に、
いくばくかの不安感も。

たとえば、きょうの宿、寝倉。
宿に泊まるか、テントを張るか、それとも駅で野宿か…。

あるいは、夕食のこと。
自炊か、定食屋に行くか、惣菜、弁当を買って済ますか…。

環境、天候、疲労度を考慮に入れて決めるのだが、
その街に着いてみなけりゃわからないことが多かった。

自転車の旅には、不確定要素が多い。
それを前提条件にして、街から街へと、走る毎日。

たとえるなら。
映画監督、宮崎駿氏の作品のなかで、
主人公が、初めて訪れる街を
その上空から俯瞰しているときのような。
期待と不安に、胸、膨らむ…。
そんなシーンを想像していただくといいかもしれない。


自転車で旅するということ。

孤独であることを受け入れつつ、安息の地を求める。
自由でありながら、自己責任がつきまとう。

その行為は、冒険に近い。

走るのが、舗装された道でも、
目的地が、栄えた街であっても
それは、一種のアドベンチャーだと思う。


夕暮れどき、松本駅前。
クルマのヘッドランプに照らされた、
日焼けした脚と、2つの車輪。

『もう、あのころには戻れない』
そう思った。
もちろん、いまでもツーリングに行くことはできる。
また、行くかもしれない。
しかし、もう、
あんな心境に達することはないだろう。

当時。将来について、なんにも定まってなかった。
だから、なにもかもをほうり出して、旅に出られた。
純粋に冒険に没入することができた。

いまは、生きるうえで、定まったことがある。
だから、あのころには戻れない、戻せない。

それは、受け入れるべき決定的な事実である。
無条件に受諾すべき通告である。

そう悟ったのだ。


■ 2009/08/19 ■



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Illustration:Motoko Umeda
2008年4月〜2011年3月 工房創成期の軌跡
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あのころには戻れない